こんにちは、さんぽです。私は現在30歳の会社員で、2年前にベーチェット病と線維筋痛症という難病を宣告されました。 今は主治医に小さなことでも相談して、医療従事者を一緒に病気に立ち向かうパートナーのように感じている私ですが、病院に行ってもうまく話せず医療不信に陥っていた時期がありました。
この体験を口にすることは、医療機関や医療従事者への批判と捉えられかねないと感じていましたし、あまりにトラウマになっていることもあり、長く人にも話せずにいました。また、これは私自身がたまたま経験したことで、多くの病院・医療従事者の方々は患者にしっかりと寄り添ってくれていることも理解しているので、私の経験を赤裸々につづることで、誤解が生じるのも不安でした。
しかし、私がなぜそのような状態に陥ったのか、そのことを今はどう捉えているのかをお話しすることで、実際に今病院に行くことに困難さを感じている方の力になれればと思い、今回、勇気を出してコラムに書くことにしました。
最初に体調が悪いと感じたのは関節の痛みからだったのですが、数年後にそれは心因性のものではなく、自己免疫疾患と膠原病によるものであったということが分かります。
幾度かの引っ越しに伴い病院が変わったり、症状の違いで診療科を変えたり、小さなクリニックでは分からないと言われ大きな病院への紹介状を出してもらったりで、今の診断を受けるまで、相当な数の医療機関を受診してきた数年間でした。
しかし私の行った病院では、どこで身体の痛みを訴えても、ストレスが原因の精神疾患と言われ、抗うつ薬や向精神薬を処方され、処方された通りに薬を飲んでもまったく症状は改善しないことの繰り返しでした。 膀胱炎に似た症状を頻発し苦しんでいたときも、その地域では有数の大きな病院に紹介状を書いてもらい診ていただいたのですが、隅々まで検査したにもかかわらず、原因は分かりませんでした。
そしてこのときの診察で「痛いはずがない」と言われたことがトラウマになり、「痛いと感じるのは私がおかしいのかも」と医療機関でうまく自分の症状について話せなくなるきっかけとなりました。
ここでの検査結果は、ベーチェット病の診断が分かった今となっては、その医師にとって専門外だったので当然だったと納得はしていますが、そのような些細な一言は今でも自分の中に棘として残っています。
また、一度あまりに身体が痛く動けなくなり、夫に近くの内科のクリニックへ担いで行ってもらったときも、医師からは聴診器と血圧計での検査だけで「ストレスだと思います」と言われました。
「いや、今は特にストレスに感じるようなこともなく、ただ本当に全身の関節が痛いんです」と説明しましたが、「ストレスなんて誰にでも気づかない間にあります。そもそも精神科の既往歴があるんだからストレスが身体に出やすいんでしょう?」との返答。
そして「ここは内科だし、精神疾患のことはよく分からない。紹介状なら書くことはできるけど、どうしますか?」と言われ、「結構です」と答え、身体症状への理解を得られなかったことから、泣きそうになりながら診察室を出ました。
医療現場では医師は限られた時間、限られた情報の中で判断を迫られること、また私自身が症状の説明をうまくできなかったことなど、いろいろな要因があったのだと今は理解しています。
それでも当時、行く先々で身体症状の原因をストレス、ストレスとだけ繰り返される一方で身体症状が一向に改善しないことにストレスを感じ、実際にだんだんと抑うつ状態にもなっていきました。
もちろん、私のこの経験はごく一部のお話で、親身に向き合ってくれる医療従事者の方が大半であることは頭では理解しつつも、行く先々で一生懸命身体症状を説明しても、精神疾患の症状に当てはまるもの以外はなかったものとして扱われるうち、医師に話をすることも、病院に行くことすらも苦痛に感じるようになっていったのです。
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救急車を呼んでも対応されず、”精神疾患”で片づけられた痛み
そして2023年夏、当時まだ発覚していなかったベーチェット病の症状(全身痛・性器潰瘍・口内炎)がピークを迎え、救急車を呼ぶほどもがき苦しむ事態となりました。
しかし今となってはあのとき救急車は呼ばなければよかった……とまで思ってしまうほど、運ばれた病院での出来事が、心に残る傷になってしまっています。
運ばれたのは近所のとても大きな病院でした。症状としては全身の関節の痛み、大量の外陰部潰瘍と歯茎に空いた穴の痛みが尋常ではなく、痛みのせいで過呼吸を起こしている(過呼吸は二次的なもので主症状ではない)というのが主訴で、それは当然救急隊員の方に伝えていました。
しかし、夫が救急隊員の方に聞かれるがままに精神科への既往歴を話し、お薬手帳を見せ双極性障害(双極症)の診断でメンタルクリニックに通っていることを話すと、対応は一変。 身体・性器・口が痛い、と何度も伝えても「精神疾患患者がストレスで過呼吸になった」話にすり替わってしまったのです。
激痛の中でも痛みに波があったので呼吸にも波があったのですが、搬送先の看護師からは「この子、人が見てると過呼吸のふりするんだけど」と言われ、「身体の痛みの原因は精神疾患だけだし、旦那さんになんて説明すればいいかしら。困ったわね」と看護師同士が話す内容が聞こえてきました。
「いや、たとえ精神疾患が原因だとしてもしっかり向き合ってほしい!」という気持ちもありましたし、それらの言葉を聞くまでは、この尋常でない痛みは何かほかの病気が原因かもしれないからしっかり調べてほしい、という旨を一生懸命説明しようとしていましたが、もう完全に心が折れてしまいました。
精神科の既往歴のある私の身体症状についての言葉は、まともに聞いてもらうことができないんだな、とあきらめてしまったのです。
この後、救急の医師からも「問題ないからほかの病院のほかの科へ」と言われ、夫からひとまず婦人科に行こうと言われましたが、号泣しながら拒絶したのを覚えています。
救急の現場ではトリアージの問題などもあり、緊急で命に関わらない症状であればすぐに帰宅を促されることもある、というのはあとから知ったことだったので、あのときの対応は決して間違っていたわけではないのだな、と分かったのですが、当時強い痛みに苦しんでいた私の心には深く傷が残ってしまいました。
結局痛みがひどすぎて薬に頼らないわけにはいかなかったので、すぐにほかの婦人科に行ったのですが、もうその頃には「病院では何を話しても私の話は信じてもらえない」「ただ薬さえ出してくれればいいや」と一時的にやさぐれた気持ちになってしまっていました。
あきらめかけた私を救ってくれた、ひとりの専門外の医師との出会い
そこで訪れた婦人科での出会いが、私のその後の人生を変えてくれました。
地方にある小さなクリニックに非常勤で来ていた女性医師との出会いです。
彼女は、身体を引きずり、痛みと悲しみでぼろぼろになっていた私の身体を支えながらまっすぐに目を見つめ、症状を聞いてくれました。つい数日前そのクリニックの別の医師にヘルペスだと診断をされていたので、継続して同じ効果の出なかった薬を出されるだけだと半ばあきらめながら、今身体に起こっていることをぼそぼそと途切れ途切れに話した私。
しかし、先生は最初から丁寧に一つひとつ言葉を聞いてくれていたように感じます。それだけのことで、私は涙が出るほど心が緩みました。
「これはストレスでもヘルペスでもないよ。私は専門外だからはっきりとしたことは言えないけれど、免疫系の病気でかなりおおごとになっていると思う。このままだと命が危ない。紹介状を書くから今すぐ大きな病院に行って」
そこからの動きは本当に早かったです。ものの10分ほどで近くの大学病院の免疫の専門医に電話をつないで事情を説明してくれ、すぐにその紹介先の病院で入院することになりました。
このとき彼女に出会わなければ、私は「何も問題がない、ストレスのせいだ」と言われ続け、適切な治療も受けられず、命まで落としていたかもしれません。
医療機関で強いショックを受け治療を受けることをあきらめかけていた中、第三者である夫が冷静に医療機関へつなげてくれた、ということも大きかったと思います。自分一人だったら、そのまま「もう病院は怖い」と逃げ出していたかもしれません。
勇気を出しもう一度病院に行き、そこでその医師に出会えたことで、やはりあきらめずに踏み出してよかった、と今は心から思っています。
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ここまでショッキングな内容を書いてきましたが、前述したとおり、私は医療機関や医療従事者の方々を否定するつもりはありません。その時々の状況や私自身の精神状態、説明の仕方など、さまざまな要因が絡み合って起こったことだと思っています。
そもそもベーチェット病は稀な病気ですし、診断も非常に難しいと、専門家である免疫内科の今の主治医すらも言います。病気が見つからなかったのは仕方がないことだったんだな、と今は納得しています。しかし、不安な気持ちでいっぱいの中で病院に行くのに、うまく話せない、信じてもらえないと思うほどに信頼関係が築けていなかったのは、悲しいことでした。
私がこのお話を通じてお伝えしたいことは、医師も患者である私自身も一人の人間であり、人と人である以上、相性が大切なのではないかということです。
私の病気に気づいてくれたのは、有名な病院や著名な専門医ではなく、その病気の専門ではない医師でした。ですが、数年引きずっていた体調不良の原因に、その先生ただ一人だけが気づいてくれたのです。
それは、先生が話をしっかり聞き寄り添ってくれた、私自身も心を開きしっかりと話ができた、という本当に基本的な対話にカギがあったと思います。
自分の身体や心を預ける人との間に一番必要なのは、やはりまず信頼関係だと思います。病院に行って傷つく経験をした場合、それは自分には合っていないともいえるのかもしれません。
医師との関係だけに留まらず、自分の心を守るためには、”逃げる”というのも一つの大切な生きる術だと思っています。
病院探しに困っていた私が病院の探し方について語ることは難しいですが、やはり信頼できる医師を、しっかりとした情報収集や信頼できる人の話などを頼りに、実際に足を運びながら、自分の心の声を正直に聞きながら、見極めていくことが大切だと思います。
今の主治医はベーチェット病の専門医ですが、非常に勉強熱心で患者想いの医師です。私の症状を一つひとつ丁寧に聞き取りながら、すべてをメモに残し、日々研究を続け新しい情報を逐一伝えてくれます。そしてどんな些細な私の声も「勉強になります」「必ず治療法を見つける手掛かりにつなげます」と真摯に受け止めてくれています。そのことで、私も素直に事細かに症状や気持ちを話す勇気をもらえました。
医療不信になっていた私が、ここまで医師に心を開けるようになるのかと、正直自分でも驚いていますが、あのときあきらめずに病院に行き、適切な治療、今の医師と出会えて本当によかった、と心から思っています。
今、もし「医療が怖い」「病院に行くのがつらい」と感じている方がいたら、自分の心の声を素直に受け止め、無理のないペースで向き合ってほしい、ときには勇気を持って心の傷を深める要因から逃げるという選択をしながらも、自分の声に耳を傾けてくれる誰かと出会えるまで、希望を手放さないでいてほしいと思います。
その先に、いつか今の私のように、心から信頼できる、一緒に悩み考えて寄り添ってくれる医師に出会える可能性は、必ずあると思っています。
さんぽさん、医療不信を抱えながら治療に向き合い、医師と信頼関係を結ぶことができるようになった体験談をありがとうございます。
今回のお話を読んで、同じようなお悩みを抱えた読者の方はとっても励まされるのではないかと思います。
ベーチェット病や線維筋痛症といった難病と向き合うには、信頼できる主治医と二人三脚での治療を根気強く続けていくことが大切ですね。
ただ、あってはならないことですが、医療関係者の心無い一言で傷付く患者さんもいることは事実です…。
さんぽさんのケースでは、双極性障害(双極症)の診断があったということで、医療現場で身体症状が「精神的なもの」と誤解されてしまったのですね。
特に、精神的な不調や発達の偏りがある方ですと、自分の症状を正確に伝えるのが難しい場合もあり、適切な治療に結びつくまでに時間がかかることもあります。
本来は、精神的な問題だと決めてかからずにまずは身体的な疾患がないかしっかりと精査して除外していく必要があるのですが、誤解が生じてしまうと診断が難しくなってしまうのです。
症状をうまく伝えられないと感じる場合、事前に症状を記録しておくのが有効です。
症状の日記をつけて、痛みや感覚の変化やストレス要因を日時とともに記録する、
診察前に聞きたいことや伝えたい症状をまとめて質問リストを作る、家族や信頼できる人に同席してもらい、客観的な視点で症状を伝えるサポートをしてもらう、などですね。
信頼できる家族や友人のサポートは医療不信を乗り越える助けになります。
最初から正しい診断にたどり着くことが難しくても、治療を続けていくうちに分かってくることもありますので、すぐに見切りをつけるのではなく辛抱強く治療を続けることが大切です。ただし、そのためには心から信頼できる医療機関と出会うことが重要ですね。
もちろん、医師の提案する治療をせずに「治らない」と言ってすぐに医療機関を変えてしまう…いわゆるドクターショッピングは避けるべきです。
ただ、医師と患者といっても、やはり人と人です。「医師が痛みやつらさを分かってくれない」と感じるのであれば、信頼関係を築くことはやはり難しいのではないでしょうか。
さんぽさんのケースのように、診断が難しい場合や医師との相性が合わないと感じた場合、別の医師や他の医療機関の意見を求めることも一つの手です。
ご自分の心と体の声に耳を傾け、相性のよい医師を根気よく探すこと、そして周囲のサポートを活用することが、医療との向き合い方を変えるカギとなります。
もしも今、今回の体験談を読まれた方の中に、「病院に行くのが怖い」と感じている方がいたなら、信頼できるパートナーとなる医師に出会えていないだけかもしれません。
治療そのものをあきらめるのではなく、合う医療機関を探してみることも考えてみてくださいね。